[4の6] モラトリアム人間と日本社会
(西洋近代と日本語人 第4期 その6)
1.はじめに
258. 前回の記事「コップの中の嵐と不合理な行為 (西洋近代と日本語人 第4期 その5)」を公開したとき、大略以下のような公開の弁をSubstackに投稿しました。
259. 「コップの中の嵐」とは、昨秋来の台湾をめぐる高市早苗首相の発言と一連の外交的失態のこと。高市発言によって、私がこれまで考えてきた問題をすこし考え直さなくてはいけなくなった。これまで考えてきたのは、
「現代日本語人は、正当な理由があっても暴力行使ができない。それはなぜか。」
だった。だが、高市発言は
「現代日本語人は、正当な理由なんかなくても暴力行使ができる」
ということを示唆している。
この二つは現代日本語人についてちょうど真っ逆さまのことを述べている。いったいどういうことなのか、検討する必要がある。まずは論理的分析を行ない、次回に歴史的考察を試みる。
260. というわけで、今回は、論理的分析につづく歴史的考察を行ないます。現代日本語人は、正当な理由なんかなくても国家的暴力を振るいそうになっている。それはなぜなのか。この歴史的考察の前提として、まず前回の論理的分析の概略を見ておきます。
2.論理的分析
261. 私が取り上げてきたのは、「現代日本語人はたとえ〝大多数の人が肯定するような理由のある暴力〟であろうとも、自信をもって振るうことができない」(4の4:145)という問題でした。この問題には、2000年代半ばに、ジャンルも違えば互いになんの関連性もない松本人志、村上隆、村上春樹という三人の表現者の作品に接したときに気づかされました(1の2:3.8、4の4:144)。
262. ところが、昨年11月8日の高市発言と国民の反応が示唆するのは、これとはうらはらに、現代日本語人は「まともな理由のない暴力であろうとも、思いつきのことばに乗っかって実行してしまいそう〔だ〕」(4の5:209)ということだった。これはいったいどういうことなのか。
263. 前回の分析の結論のみ示します。第一に、これまで考えてきた「正当な理由があっても暴力行使しない」状態は、共同体の水準では暴力行使する理由があるけれど、個人の水準ではそうする理由がない、というときに、個人の力が共同体の力にまさった結果として生じる、と考えられます。(4の5:251)
264. ただし、個人の力がまさった度合いは、ごくわずかだった。戦後の日本に生じたのは、戦争放棄と軍事力保有の矛盾を放置するどっちつかずの態度でした。国家的暴力は一切行使しないとキッパリ決めることができるほど、暴力を忌避する各個人の力が、暴力を必要とする国家の力よりも大きくまさったわけではありませんでした。(4の5:)
265. 他方、「正当な理由がなくても暴力行使する」状態は、個人の水準では暴力行使する理由はないけれど、共同体の水準ではそうする理由がある、というときに、共同体の力が個人の力にまさった結果として生じる、と考えられます。(4の5:)
266. 現今の日本では、共同体が個人にはるかにまさった力を発揮しているように見えます。というのも、首相発言に乗って、人々は前のめりに外交上のタカ派に転じようとしている。この種の軽率な振る舞いは、共同的なはたらきかけが個人の判断を一挙に押し流すときに生じると考えられるからです。(4の5:)
267. 以上の分析から、歴史的に考える必要があるのは、次の問いということになります。
「二十余年前の日本語人は、個人の力が共同体の力よりわずかにまさるという条件下に生きているように見えた。しかるに、現在の日本語人は、共同体の力が個人の力よりはるかにまさるという条件下に生きているように見える。何がどうしてこうなったのか」(4の5:255)
この問いに答えるには、近い過去と今現在について、日本語人の生活と思想の変化を見ないといけない。それを今回試みるわけです。
3.現代日本語人の生活と思想
268. じつは、前回の記事「[4の5] コップの中の嵐と不合理な行為」を脱稿したとき、上の問いへの答えはあらかた完成していました。でも公開するとき割愛しました。答えの部分を加えると1回分の記事としては長すぎ、かつ、答えそのものとしては簡略すぎたからです。以下の269から287に、前回割愛した部分を書き直して収めます。そして、次節で考察を加えて説明を補足します。
極私的大衆思想史:1970年から現在まで
269. まず上の小見出しについて一言。「極私的」は、1960年代末から1970年代にかけて一部で流行った言い方です。今ではほとんど聞かなくなりました。「私的」を強めただけですが、「極私的」は、アングラ演劇や自主制作映画、雑誌『ガロ』、フォークソング運動、等々を連想させる。若者または元・若者が対抗文化(counterculture)を拠点に自己表現を試みるとき、しばしばこの言葉が冠せられました。
270. 「極私的」が流行った当時、私はこの言葉がなんとなく好きではなかった。自分で使ったことはないと思います。というのも、「極私的」を標榜する表現活動は、対抗文化であることに満足して表現の質の高さをそこまで追求しない、という傾向が感じられなくもなかったからです。今回小見出しに使ったのは、この言葉が流行った当時の雰囲気を呼び起こし、良い面も悪い面も取り上げて、この間の生活思想の移り変わりを語る手がかりとするためです。
271. 手短かに行きます。1970年頃から1990年頃までに起きた大きな変化は、新旧左翼の思想および運動が急激に衰退したことです。ただし、重要なのは衰退したことよりも、むしろ衰退しながら残存したことです。日本では、1960年代の高度経済成長によって、社会主義に向わなくても大衆の生活は豊かになりうることが体験されました。その結果、資本主義と社会主義、右翼と左翼、近代主義とマルクス主義、といった対立軸は意味を失いつつあった。とはいえ、70年代の終わり頃までは、まだ新旧の左翼は影響力を保っており、80年代にも完全には消滅しませんでした。
272. 新旧左翼の退潮にともなって、70年代末から80年代初めには、椎名誠〝昭和軽薄体〟のスーパーエッセイ、田中康夫『なんとなく、クリスタル』(←読んだことないんですが)、糸井重里「萬流コピー塾」など、左翼風の生真面目さから距離をとった表現活動が時代の最前線に姿を現します。より大衆的な場では、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」(ツービート)の漫才ブームと差別や禁忌を侵犯する珍芸(タモリ)が大衆娯楽の様相を一変させます。より高踏的な現れとしては、ポストモダン思想の紹介とニューアカブームがあった。ただし、これらと同じ時期に、中野孝次らによる「核戦争の危機を訴える文学者の声明(1982)」が公開されています。80年代初頭の反核運動は、最後の左翼運動という印象があります。
273. 89年にはベルリンの壁崩壊がありました。しかし、私の印象では、東西冷戦の終結は、マスコミが大騒ぎしたわりに日本社会に思想的な影響を与えはしなかった。なぜなら、元々日本では「冷戦」なんてホンモノの戦争ではなく、モノの譬えに過ぎないと受け取られていたからです。外交上の対立を戦争に譬えただけのこと、イデオロギーに囚われた無意味な角逐が終わったからといって、人々の精神生活に何か重要な帰結があるわけもない。こんな風に受け流された印象でした。
274. ではいったい、50年代から60年代半ばの日本におけるマルクス主義者と近代化論者の思想対立とはなんだったのか、という疑問が浮かびます。あれはムラの繁栄(富国)をどうやって実現するか、という手段の選択をめぐる争いに過ぎなかった。つまり、社会主義と国家指導型の資本主義(即ち、国家社会主義)の争いだった。どちらも共同体を個人より重視する点で共通していて、共同体指向(communism 共産主義)対個人指向(individualism 個人主義)という相容れない思想の闘争ではなかった。そんなわけで、日本の知識的大衆にとっては、冷戦の終結が個人主義と民主政の勝利という意味をもつことはなかったのです。
275. 90年代の、大衆思想に関する大きな出来事は、オウム真理教事件だと思います。これは、若年層の対抗文化が左翼的な運動や表現をすでに離れ、カルト的な修行や信仰の領域に移っていることを衝撃的に示しました。90年代以降の思想的な対立は、常識的・機会主義的な現世指向とカルト的・原理主義的な理念指向のあいだにあるように思います。
276. 二十一世紀に入ってからは、私が歳をとったせいか、時代思潮の変化を感じることが少なくなりました。あいかわらず現状肯定的な多数派と、現状否定的な数多の理念的少数派(例、ヴィーガニズム、反ワクチン運動など)が入り乱れている。そう思って見ています。ただし、70年代には余喘を保っていた資本主義と社会主義、右翼と左翼、近代主義とマルクス主義といった対立軸は、ほとんど意味をなさなくなったと感じます。
個人と共同体:1970年から現在まで
277. 答えなければならない問いは、267にあるとおりです。再録すれば、
「二十余年前の日本語人は、個人の力が共同体の力よりわずかにまさるという条件下に生きているように見えた。しかるに、現在の日本語人は、共同体の力が個人の力よりはるかにまさるという条件下に生きているように見える。何がどうしてこうなったのか。」
278. 二十余年前の日本語人の心象は、松本人志(1963~ )や村上隆(1962~ )、村上春樹(1949~ )といった人々の作品から抽出したものです。それは二十余年前のこれらの作り手たちの世界観や人物像を造型したものと想定してよいでしょう。
279. これらの作り手たちは、ほぼ70年代から80年代にかけて、十代の終りから二十代の終りの期間を過ごしています。かれらは、左翼が衰退し、イデオロギー対立が無意味化しながら、それでもなお対立が消滅してはいなかった時代に青年期を過ごした。
280. その時代の青年に求められたのは、崩れつつある反体制の正義の主張と、腐りつつある支配体制の権威の主張のいずれを選ぶか、あるいはそのいずれも選ばずにいるか、という選択でした。選ばずにいる青年は、モラトリアム人間と呼ばれました。
281. 体制側の主張も反体制側の主張も選ばない。自分は自分であるから、自分だけにこだわる。自分は自分以外の何者でもありえない。「極私的」という流行語には、そんな時代の気分が籠められていました。そういう気分から生まれたのが、たとえば身の回り半径数十メートルの世界に徹底的にこだわる〝昭和軽薄体〟の表現だった。
282. 70年代80年代の青年たちは、イデオロギー対立が希薄化する世界で、いまだ残存する対立に選択を迫られながら、自分個人の極私的な生き方を選びとることもあるいは可能かもしれない、と夢みることが許された時代を生きた。かれらは恙なく生きのびて中年となり、2000年代には「〝大多数の人が肯定するような理由のある暴力〟であろうとも、自信をもって振るうことができない」ような権力行使をためらう日本語人となりました。そして、才能ある作り手たちがその姿を作品に残すことになった。
283. 二十余年前の日本語人の中年が、「個人の力が共同体の力よりわずかにまさるという条件」を生きているように見えたのは、かれらが青年だった四十余年前に、選択するか選択を先延ばしするかが個人にゆだねられる環境を生きたからです。選択を先延ばししてモラトリアムを享受したことが、個人の力が共同体の圧力に「わずかにまさる」ような考え方や生き方をもたらした原因です。
284. 他方で、現在の日本語人は、「共同体の力が個人の力よりはるかにまさるという条件下に生きている」ように見える。いったい何が変化したのか。一言でいえば、モラトリアムが奪われた、ということに尽きるでしょう。
285. 現在では、性別や年齢に応じて、人生の区々たる局面で選択すべき事柄が、あらかじめ用意されている。選択を猶予されるモラトリアムの期間はほとんどなくなった。各人は、用意された選択肢の中からどれかを選ぶことを人生のさまざまな時点で一意的に決めねばならない。選択しないでいると〝引きこもり〟認定を受け、社会からはじき出されてしまう。そういう社会になって来ているように思います。
286. この窮屈な社会の引力から脱け出すためには、よほど強力な脱出装置によらなければならない。カルトの魅力はそういう脱出装置を提供するところにあるのかもしれません。しかし、カルトは自分が選びとるものではありません。むしろ逆に、人はカルトに取り憑かれ、呑み込まれるのであり、カルトは一般社会よりも強い力で個人を支配する。モラトリアムの代わりにはなりようがない。
287. 90年代以降、時代の対立軸は、現状肯定的な機会主義的多数派と、現状否定的な理念的少数派のあいだにあるように見えると言いました。カルトという脱出装置に吸い込まれなかった人たちは、窮屈な社会に適応する多数派になるか、あるいは、適応できず、はじき出されて少数派になるか、どちらかを強いられる。そして、適応してもしなくても、個人の行為は、慣習や社会規範といった共同体の水準の理由づけによって可能な選択の範囲がおおむね定められ、そのなかでの選択を強いられる。こうして「共同体の力が個人の力よりはるかにまさるという条件下に生きている」状態になっていると考えられます。
4.モラトリアムについて
288. 以下、モラトリアムについて説明を補います。まず、概念をある程度はっきりさせます。日本では、E.H.エリクソンの元々の概念とは少し違う文脈で受け入れられた経緯がある。つぎに、モラトリアムの状態にある人物とは、どのような存在なのか。これまで私が考えてきたことと結びつけて、近代社会とモラトリアムの関係について考えます。
モラトリアムとスチューデント・アパシー
289. モラトリアム人間は、美しいものでも立派なものでもない。往々にして、見苦しくてみすぼらしいものです。まちがっても美化して思い描かないように、これをまず確認しておきます。しかし、時代は移り、昨今では「モラトリアム」という言い方も聞かれなくなりました。この言葉の由来から説明したほうがよいでしょう。
290. 「モラトリアム」は元々は債務の支払い猶予を意味する経済用語です。それをE.H.エリクソンが1959年の著作で青年心理に適用した*。青年が自分は何者なのかを決定することを猶予され、どういう存在に自分がなりたいのかを模索する時期を意味します。
注*: E. H. Erikson, Identity and The Life Cycle, International University Press, 1959. エリクソン『自我同一性』小此木圭吾編訳、誠信書房、1973
291. エリクソンの用法では、自立を渇望して真剣な自己探求を試みるという積極的な含みがあったようです。日本では、1977年の小此木圭吾『モラトリアム人間の時代』(中央公論社)が、「モラトリアム」という言葉を一般に広めました。このとき、エリクソンの用法とは違って、その当時話題となっていた「スチューデント・アパシー(student apathy 学生の無気力)」と結びつく概念として広まりました。その結果、「モラトリアム」は、無気力、無感動、学習意欲の減退など消極的な含みを帯びた概念として受容されることになったわけです*。
注*: 下山晴彦、1992、「大学生のモラトリアムの下位分類の研究 ――アイデンティティの発達との関連で――」『教育社会学研究』第40巻、2号、pp. 121-129.
292. 当時、スチューデント・アパシーは主として男子学生に生ずるという指摘がありました*。他方、後には女子学生にも同様の無気力や自己同一性に関する不安の傾向が見られるとする報告もあります**。素人考えですが、無気力や無感動に陥ることによって、社会的要請から自分を切り離す無意識的な反応は、男女ともに起こりうるでしょう。ただし、女性と男性が受け取る社会的要請は異なると考えられます。だから学業への無意識的反応が男女で同じ現れ方をするとはたぶんいえない。スチューデント・アパシーの発現の性差については、さしあたり判断を留保しておきます。
注*: 笠原嘉「スチューデント・アパシー」、笠原嘉『精神科医のノート』みすず書房、1976所収。
注**: 鉄島清毅、1993、「大学生のアパシー傾向に関する研究 ――関連する諸要因の検討――」『教育心理学研究』第41巻、3号、pp.200-208。 宗像剛、1997、「大学生のアパシー傾向の男女別検討」『心理学研究』第67巻、6号、pp.458-463。
293. なお、スチューデント・アパシーの概念を拡張し、登校拒否やサラリーマンの欠勤症を含む方向に拡大する試みもあったようです*。自分が何者なのか確かめるために、社会的役割の遂行にしばしの猶予を求めたい気持ちは、少年少女にも成人男女にも当然起こりうる。老若男女を問わず、人にはモラトリアムが必要だろうと私などは思います。
注*: 下山晴彦、1996、「スチューデント・アパシー研究の展望」『教育社会学研究』第44巻、3号、pp. 350-363.
294. 臨床心理学の知見を離れて通俗的にいえば、モラトリアム人間とは、学業に打ち込めずに何年も留年しているものの、アルバイトなんかはけっこうやっている、といった学生の暮らしぶりを言うものでした。将来の職業選択を先延ばしして呆然と暮らしている。本人の内面的の悩みは深いが、だからといって引きこもっているわけではない。本業をはずれた場面ではそれなりに社会生活に適応していたりする。
295. こういう大学生、とくに男子学生は、70年代や80年代には大量に存在していました。そして、大学はレジャーランド化しているなんていう識者の批判の好餌となっていた。モラトリアム人間は、外から見れば、たんに怠けているだけだったのです。
296. 教育行政の担当者たちは、国公立大学の学費の値上げやシラバスの整備、進級・卒業認定の厳正な運用など、多方面の施策を通じて留年者を減らすことに成功しました。当今では、留年者は激減し、モラトリアム人間はあまり見かけなくなったといっていいと思います。
モラトリアム人間と社会
297. モラトリアム人間は、私が本ブログで主に取り上げてきた個人と社会の関係という問題系に結びつけると、どういう人間類型に相当するのか。個人の類型的描写としては、「頑固者の懐疑家β」(3の14:713)がモラトリアム人間のあり方によく当てはまります。これを手がかりに考えてみます。
298. 「頑固者の懐疑家β」とは、ありとあらゆる対話の場面で、話題となる事柄に執拗に反論し、けっして同意しない人物でした(3の14:708)。話題は、とりあえず、「タバコは健康に害がある」という事柄であると仮定しましょう。β氏は、「タバコは健康に害がある」と言われると、あれこれ理由を挙げて決してそれに同意しない。ところが、「タバコは健康に害があるというのは間違いだ」と言われても、別の理由をあれこれ挙げて決して同意しない。このようにβ氏はあらゆる意見に同意せず、周囲をはなはだ困惑させる人物です。(3の14:708-715)
299. β氏はなにをしているのか。「タバコは健康に害がある」のかどうかの決定を先延ばししている。自分の立場をはっきりさせるのを先延ばししているといってもいい。自分は〝タバコは健康に害がある派〟の人間であるのか、それとも〝タバコは健康に害があるというのは間違いだ派〟の人間であるのか、という決定を行わない。頑固者の懐疑家β氏は、自分は何者なのかの自己同定をひたすら避けるという意味で、モラトリアム人間そのものです。
300. 懐疑家β氏がモラトリアム人間なのだとすると、モラトリアム人間は、近代社会においては、全体集団から排除されず、しかも自己同定を避けつづける結果いかなるグループの一員にもならず、誰ともつるまない一個人として存在することになります(3の14:713)。大事なのは、この「近代社会においては」という限定です。
近代社会とモラトリアム人間
301. この限定をどうとらえるか。まず根本的なところから述べると、私は、人間の認知と行動の基本的機構を、自分と話し相手と対象という三者関係に求めます(3の13:640, 667)。別の言い方をすると、すべての人間社会は、自分と相手と共通の対象という三者からなる対話の関係から生まれるとみなす、ということです。なお、共通の対象とは、会話のその時々に話題となっている事柄のことをいいます。なにか特別の共通性を想定しているわけではありません。
302. この場合、人間社会と対比されているのは、ヒト以外の大型類人猿の社会です。大型類人猿の社会には、個体間の相互協力を生みだすような、対話を通じた対象の共通の理解(共有された世界像)はないようです(3の5:237-249、特に245-248)。
303. このように人間社会の成り立ちをとらえると、近代社会は、この人間社会一般を形成する三者関係に、なんらかの条件を付け加えることで生まれる、と考えればよいことがわかります。近代社会を生みだす条件として私が考えたのは、以下のようなものでした。
「第一に、相手の言ったことに対して、会話のどの段階で、どんな疑いを表明してもかまわない。
第二に、会話を維持しなければならない。」(3の13:667)
304. 「近代社会においては」という限定は、この二つの条件の下では、と言いかえられます。では、モラトリアム人間たる懐疑家β氏は、この二つの条件の下ではどういう扱いを受けるのか。
305. 「会話のどの段階で、どんな疑いを表明してもかまわない」のですから、近代社会では、β氏が疑いを表明しつづけることに何の問題もありません。そのうえ「会話を維持しなければならない」のですから、近代社会では、β氏は対話から排除されることはない。仲間はずれにはならない。
306. 疑いを表明することがいかなる時でも許されるのは、近代社会とは、神が立ち去ったあとに、なお神を求めるという仕方で成り立つ社会だからです(2の25:1029, 1032)。神は立ち去ったがゆえに、いかなる主張も疑いをまぬがれない。だが、人は神を求めるがゆえに、みずからの認識の外に、人間から独立に存在している絶対的なものを探究するほかない。
307. すると、探究は果てしなくつづき、疑いは途切れることがない。かくして疑いをいだく者は、近代社会においては正しく社会の一員となる。したがって、モラトリアム人間は自分の立場を限定することを先延ばしし、何者かになることを回避しつづけるけれど、それでも近代社会から排除されないわけです。
308. 思い返してみると、怠け者の学生たち(主に男子)は1990年あたりからなんとなく減って行き、今ではほとんど見られなくなってしまった。怠け者が徐々に排除されていった現象は、近代社会をつくる上でなにかまずいことが起きている兆候だったのではないか。そして、現在、あからさまに「共同的なはたらきかけが個人の判断を一挙に押し流す」(上掲266)ような事態が起きているのは、このようにモラトリアムが徐々に奪われていったせいであるにちがいない。これが私の見立てです。
5.むすび
309. 近代化された社会のなかで、私的な内面にこだわり、社会的に要請される役割から距離をとって生きる。こういうモラトリアム人間の生き方は、1970年代に始まったわけではありません。すでに明治の終わりころ、夏目漱石は、そんな生き方をする人々の運命を複数の作品で描いていました。本ブログでもそれを取り上げたことがあります。
310. 『それから』の代助は、裕福な育ちの若者で、職に就くこともなく悠然と暮らしています。元祖モラトリアム人間という印象です。しかし、あるきっかけで、みずからの内なる自然に目覚め、三千代への愛を貫いて生きようとする。代助は世間の掟に背き、社会から排除されるにいたります。(2の6:175, 179-185)
311. 『門』は、『それから』の後日譚といえます。主人公の宗助は、代助同様みずからの愛を貫いて行動し、社会から排除されます。でも夫婦でなんとか日常生活を再建することに成功し、ひっそり生きている。ところがある些細なきっかけから、その日常生活の平穏は危うくなります。宗助は思い立って禅に助けを求める。しかし、世俗生活の不安や、みずからのかつての行動に由来する自責の念は、世俗外に立つ宗教によって軽減されはしないのでした。(2の6:176, 186-190)
312. 『こころ』は、『門』で未解決に終わった自責の念の行方を考え直しています。「先生」は、自分の欲求に従って行動しました。それが友人Kの自殺を引き起こしてしまう。「先生」はみずからを社会から隔離し、自分を責めながら生きています。そして、明治天皇の崩御と乃木大将の殉死の報に接し、「明治の精神に殉死する」という不可解な言葉を残して自殺します(2の6:177)。『こころ』は、心に空虚を抱いた明治人がナショナリズムにのみ込まれていく物語であるといえます(2の9:358、2の5~2の9)。
313. 近代日本の人々は、自分の内面の欲求にしたがって自分の人生を作りあげようとすると、一定期間のモラトリアムを経由して、最終的にはナショナリズムにのみ込まれていくことになる。夏目漱石はこれらの作品を通じてそう語っているように見えます。
314. 1970年代から現在にいたる社会の流れも、漱石の見立てからはずれていない印象です。どうしてこうなるのか。もう少し、モラトリアム人間の生き方に含まれる問題を考えてみたいと思います。次回は、とりあえず、2月28日土曜日に公開する予定です。


モラトリアムという時間を考えた時に、わたしは石原都知事が都立高校をガラリと変えたことを連想しました。
彼は私が高校3年の時に都知事に当選しました。その後、彼は都立高校を中高一貫校にしたり、大学受験に受かるような教育を推進し、変えてしまいます。
私が都立高校に通っていた時期は、モラトリアムと言っても良い時間だったと考えています。勉強は好きな科目しかせず、少し部活に参加して、子ども会のボランティアなどでキャンプに行く。目的もなく井の頭公園や吉祥寺を散策し、文化祭の準備で夏休みに学校で友だちと集まって漫画を読んだりの日々です。
今の都立高校にはこのような暢気さはなさそうです。かつての都立高校のゆるさは大人に受けなかったのだと思います。ほとんどが浪人生になるので、お金がかかるのです。今日の都立高校生は、日々受験や部活に熱心なことでしょう。昔よりも集団としての圧力を受けていると想像しています。以前あった都立高校文化を潰されたことが残念でならないのです。
マクロの観点では国民が貧しくなると、ポピュリズム的政治か人気を得て、政治家も過激な言動で支持を獲得しようとする循環と、ミクロでは生活に余裕が無くなると個人の思惟が弱まり社会の大勢に流される傾向が増すような繋がりを想像しました。
余裕の有無に左右されない軸を持つ個人が多ければまた違うのかも。