[4の7]〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉は止められるのか
(西洋近代と日本語人 第4期 その7)
1.はじめに
315. 1970年代から80年代にかけて、ある思想的な変化が日本の知識的大衆のあいだに起きていたと考えられます。今回と次回は、その変化を示す二つの事例を取り上げます。
316. ひとつは1980年代前半の、詩人の黒田喜夫(1927-1984)と思想家吉本隆明(1924-2012)の論争です。これは、旧来の左翼の思想と運動がどういう点で批判され、なぜ衰退していったのかを示す一つの記録として、見ておく価値があります。表題の〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉という言葉は、この論争の中で、吉本が左翼を評した言葉です(後述360)。
317. もうひとつは、1970年代半ばの鈴木志郎康(1935-2022)の詩と詩論です。これは、全体の視点からではなく、個人の視点からものごとをとらえて表現していこう、という考え方が70年代に生れて来た経緯を示すものとして、見ておく価値があります。なお、黒田-吉本論争を今回論じ、鈴木志郎康の詩論は次回に論ずる予定です。
318. 上で用いた「知識的大衆」という言葉は、関川夏央(1949- )の造語です。印刷物を定期的に読む習慣がある点でかつての大衆とは違い、また本も読めばマンガも読む点で古典的な知識人とも違う。そういう高度大衆化社会の多数の人々を指しています。要するに、知識的大衆とはわたしたちのことです。(関川夏央『知識的大衆諸君、これもマンガだ』文春文庫1996、pp.17-18)
319. 黒田喜夫と吉本隆明は、論争といっても正面から直接やりあったわけではありません。たがいにそっぽを向いたまま横目で批判を投げつけあっただけです。発端は、吉本隆明が別の詩人との対談の中で黒田喜夫に批判的に言及したことでした。これに対して黒田が日記風の随想のなかで皮肉っぽく文句をつけた。それを知った吉本が、自家刊行の雑誌『試行』の巻頭随筆「情況への発言」で黒田を激しくこきおろした。そのやり取り自体は、皮肉や罵倒の応酬であり、見かけはおよそ〝生産的〟ではありません。しかし、やり取りを通じて、〝前衛が人民を指導する〟という左翼の考え方が、高度大衆化社会に合わなくなっていたことが浮かび上がってきます。
320. 一方、鈴木志郎康は、左翼運動と深く関係したことはないはずで、カメラマンとしてNHKに勤務しながら、生涯にわたって30冊以上の詩集を刊行し、また私的な生活風景を映画に撮る個人映画の試みに取り組み、退職後は大学や各種セミナーで詩作の指導と詩論の講義を担当するなど、生涯をつうじて多彩な活動をした詩人です*。1950年代前半、高等学校の終わり頃から詩を書き始め、1967年、詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』で第18回H氏賞を受賞しています。1970年ころにはすでに若手の詩人として認められた存在でした。70年代前半に雑誌『現代詩手帖』に詩論の連載を始め、これは後に『極私的現代詩入門』(思潮社1975)に収録されました。
注*: 『現代詩手帖』2022年11月号「鈴木志郎康追悼」による。
321. 私は、吉本-黒田論争は吉本の文章を通じて同時代に知っていましたが、鈴木志郎康の方は、知っていたのは名前だけで、最近まで詩も詩論も読んだことはなかった。つい先日、このブログを書くために「極私的」という語句の用例を調べたところ、この言葉は鈴木志郎康が1960年代末に使いはじめたことがわかり、そんなことから『極私的現代詩入門』を知りました。
322. ためしに読んでみたら、詩について自分の考え方の変化を平易な言葉で率直に語った意外な(といっては失礼だが)好著でした。論考の末尾近くで、あらゆる表現は個から出発するほかない、というある種の覚醒体験が述べられています。覚醒にいたる思考過程を読んでいくと、個と全体のかかわりについて、70年代に日本語人の思念にある変化が生じたことが伝わってきます。そのあり様は、立ち入って紹介し、分析する意義があると思います。
2.論点の整理
323. なぜ、70年代から80年代の日本における知識的大衆の思想的変化を問うことになったのか、簡単にここまでの話の流れを整理し、その背後にあった私の関心を述べておきます。
324. 私の印象では、二十余年前、2000年代の日本語人は、理由のある国家的暴力であっても自信をもって行使できない、という遅疑逡巡を心に抱いていました。それが、現在では、思いつきの理由で国家的な暴力行使に踏み切りそうな軽挙妄動の傾向が著しい。いったい何がどうしてこうなったのか。これがそもそもの問いでした。(4の5:224)
325. 国家的には軍隊をもつ理由があるが、個人的にはそうする理由はない。この条件下で個人の理由づけの力がまされば、国家の軍事力の位置づけは不安定になります。たとえば戦争経験者が日本社会にたくさん生きていたあいだは、自衛隊は曖昧な位置を余儀なくされていました。
326. しかし、同じ条件の下でも、なんらかの原因で国家的な理由の力がまさるようになれば、個人的には理由がなくても、人々は軍事力を肯定する方向に流されるでしょう。戦争経験者が社会に少なくなり、外患の脅威が強調され、宣伝の手法も洗練されてくると、軍事力の増強は必要だと人々が思うようになる。ただし、この場合でも、自分が戦うことは念頭にないという意味で*、人々は個人的には暴力を行使する理由があると思ってはいないわけです。
327. 自衛隊の広報誌『MAMOR』の2022年11月の報告によると、若者(15歳~40歳の男女)を対象とした調査において、「もし日本が侵略されたら戦いますか?」という問いに対し、71.8%が「戦わない」と答えています。答えの内訳は、国内で避難:38%、国外に避難:22%、侵略者を支持:2%、何もしない:38%でした。この調査はロシアのウクライナ侵略を受けて緊急に実施されたものです。(「日本が侵略されたら戦う?」戦わないは7割、若者の意識に変化はあったのか - MAMOR-WEB)
―― それにしても自衛隊の広報誌の正式名が『MAMOR』とは。まーもる? 我が国の文明的位置を残酷なまでに正確に表しています。
328. これが日本の現状かもしれません。二十余年前と現在での日本語人の態度の変化は、こうやって時事的な要因を挙げることで案外かんたんに説明がつくように見えます。
329. 上のような説明に私はとくに異論はないし、それなりの説得性を感じます。多くの読者も同じ感想ではないでしょうか。でも、これまでの議論では、こういう時事的な説明方法はなんとなく避けて来ました。あくまでも〝なんとなく〟でしたが、このやり方は避けて、抽象的な方向に議論を向けました。
330. 国家的理由と個人的理由は、一般化して、共同体の水準と個人の水準の理由と考えてよい。すると、
二十余年前の日本語人は、「A:共同体の水準ではそうする理由があるが、個人の水準ではそうする理由がないので、そうしない」という類型に相当する。
現在の日本語人は、「B:個人の水準ではそうする理由がないが、共同体の水準でそうする理由があるので、そうする」という類型に相当する。(4の5:241-248)
Aの類型では、個人の理由づけの力が、共同体の理由づけの力にまさっている。Bの類型では、共同体が個人にまさっている。(4の5:249-253)
331. すると、次なる問いは、二十余年前と現在で、日本語人の行動の理由づけにこの違いをもたらしたのはどういう事情なのか、という問いになります。(4の5:255)
332. 二十余年前の中年は、四、五十年前の青年です。かれらは70年代から80年代に青年期を過ごした。その時代の青年たちは、左翼運動の衰退するなか、反体制の正義の主張と体制側の権威の主張のいずれを選ぶのか、あるいはそのいずれも選ばずにいるか、という選択に直面しました。
333. かれらのかなり多くは、いずれも選ばないモラトリアム(猶予期間)を過ごしました。大なり小なりモラトリアムを経験したことが、中年期に達したかれら、つまり2000年代の日本語人において、個人の力が共同体の圧力にわずかにまさるような考え方や生き方が観察された原因だろう。その後の世代では、モラトリアムが奪われたことが、共同体の力が個人の力にまさる状態をもたらした原因だろう。このように考えました。(4の6:282-284)
334. 私が〝なんとなく〟感じていたことは、時事的な要因の背後に個人と共同体のかかわり方の変化があったのではないか、という疑問だったわけです。戦争経験者が社会に数多くいるかどうか、外患の脅威が喧伝されているかどうかといった事実の奥に、個と共同体のかかわり方の変化がおそらく存在している。その変化は、モラトリアムの有無で浮かび上がらせることができる。これが前回「[4の6] モラトリアム人間と日本社会」で示唆したことでした。
335. しかし、個人と共同体のかかわり方の変化を、もう少し掘り下げて考えてみたい。黒田-吉本論争を見ると、戦後日本をより進んだ社会にするはずだった左翼の理念は、70年代から80年代にかけて自壊していったことがわかります。〝前衛党が共産主義革命のために遅れた人民を啓蒙する〟という図式が、驕り高ぶった愚昧さとして否定される。これは否定されて当然だった。
336. だが、このとき同時に、恵まれた境遇にある人々が恵まれない境遇にある人々を広く思いやる、という社会全体におよぶ幅広い感情移入(empathy エンパシー)の可能性も失われてしまったのかもしれない。そのあたりを黒田-吉本論争を通じて見ていきます。
3.黒田-吉本論争
発端
337. 黒田-吉本論争の発端は、吉本の黒田批判です。きっかけになったのは吉本隆明が清水昶と対談したおりにふともらした感想でした。対談は、1970年代末におこなわれました。
338. 吉本と清水の対談は、清水が聞き役になって行なわれた幾人かの詩人との対談の一つです。それらの一連の対談は『現代詩手帖』の連載企画でした。対談は順次『現代詩手帖』1979年9月号から1980年11月号まで連載され、のちに清水昶『詩人の肖像』(思潮社1981)として刊行されました。
339. 吉本-清水対談の主題は「三島由紀夫と太宰治」でした。三島の話から始まって、論点はとりとめなく移っていきます。この対談が行なわれたころ、清水昶と黒田喜夫は別の場所で論争していた。清水と黒田には、日本的な感情、あるいは、日本的な美といったものをめぐる意見の対立があったようです。三島と日本的な美という話題から話頭を転じて、吉本は清水に向ってこう語ります。
「黒田喜夫さんとあなた〔清水昶〕が論争しているでしょう。…(中略)…黒田さんは要するにあなたを右翼的傾向だと決めつけたいのでしょう。黒田さんには、どうしようもなく旧来の左翼の思想から脱けられない悩みがあるでしょう。それをとっ払うと、黒田さんはなにもなくなっちゃう。いままで黒田さんが大切にしてきたものがあるでしょう。黒田さんはそれを出たら駄目になると思っているんだな。でも、黒田さんは、そこを出なければだめだと思う。」(清水昶『詩人の肖像』pp.112-113)
言及はこれだけです。黒田喜夫は大切にしてきた「旧来の左翼の思想」を出たらなにもなくなるが、それを出なければだめだ、といっています。黒田にとって重たい問題に、吉本が脇から無遠慮に口を挟んでいる印象があります。
黒田の吉本批判
340. 黒田喜夫は反撥しました。黒田の文章は、一文が長く、思いが屈折して読みにくいのですが、省略を入れて引用します。
「これが吉本隆明さんの言だとすれば、吉本さんも随分つまらぬことをいうものだと思う。…(中略)…兎も角、自己の思想や理論に一義的に同調・帰依していない者は、旧左翼の思想から脱けられない者であり、おまけに旧左翼は悪であり、バカであるといわんばかりの、こういう他者へのタカククリと風呂敷の拡げようの口ききを、日本近代と戦争の中からいままで生きたたかってきた者は決して信用しないのである。」(黒田喜夫『人はなぜ詩に囚われるか 黒田喜夫詩論集』日本エディタースクール出版部1983、pp.23-24)
つづけて、「吉本さんとは言わぬが」(上掲書p.25)と前置きしつつ、旧来の左翼をあげつらうある種の文筆家の現状追認的な書き物を論難しています。
「そこにあるのは、「左」をあげつらって市民社会に自足する責を逃れようとする卑しさ、である」(上掲書p.25)
341. 黒田の吉本批判は、要するに吉本が自分に賛同しない者は旧左翼から脱けられないバカだとみなしている、ということです。そうやって相手のタカをククって大風呂敷を拡げる口ぶりを、自分は信用しない、自分には戦争中から日本の近代と戦ってきた経験があるからだ、と言っています。
342. 黒田は、1961年に日本共産党を除名されています。だから、所属組織に忠誠を誓うというような動機はありません。純粋に、左翼的な思想の価値を認めていたのでしょう。吉本には、それが「どうしようもなく旧来の左翼の思想から脱けられない悩み」に見えた。
343. この二人の対立は、旧来の左翼思想は、もはや価値がないのか、依然として価値があるのか、ということにある。しかし、私の今の関心は、マルクス主義の思想的価値にはありません。
344. 私が注目したいのは、文筆家の仕事を非難して、黒田喜夫が、「市民社会に自足する責を逃れようとする卑しさ」と言っていることです。黒田は今の社会に自足して生きることは責められるべきことだ、と決めてかかっている。その責めを逃れようとするのは卑しいことなのです。
345. 現状の市民社会は来るべき革命によって乗り越えられるのだから、そこに自足するのは堕落にほかならない。そういうことでしょう。市民社会に自足することは否定されねばならない、とりわけ自足した今の自分は否定せねばならない。このような自己否定の感覚は、60年代や70年代の学生や知識人に珍しくないものでした。
346. あらためて黒田の言葉を読みなおすと、焦点にあるのは、責めを逃れようとする〝卑しさ〟です。責めがあるのは、前提になっている。こういう思い込みが吉本から批判を受けることになります。
吉本隆明の応答
347. 吉本隆明は、1984年5月号と11月号の『試行』巻頭の「情況への発言」で、黒田喜夫からの批判を論じています。
348. 黒田喜夫は1984年7月に亡くなりました。『試行』11月号は、没後の刊行です。吉本は「黒田の人柄も詩もそんなに嫌いじゃなかった」*と追悼しつつ、黒田からの批判については「エセ左翼特有の噂話情報と、病んだ自分の身体と、不如意な境位への苛立ちをもとにした、まったく低次元な反撥」*と切り捨てています。
注*: 吉本隆明『「情況への発言」全集成 3』洋泉社2008、p.40。なお、以下では、吉本『全集成3』と表記します。
349. 黒田への応答の主要な部分は、『試行』5月号の「情況への発言」にあります。そこでかなり長く論じている。「情況への発言」は、書き手の吉本が一人二役で「主」「客」となる対話形式をとっているのが特徴です。もっとも、主も客も吉本の持論を滔々と展開するだけなので、対話形式にする必要は感じられないのですが、語尾などに話体が混ざる文体で記されている。例えば、こんな調子です。
「だいたい黒田喜夫が、地方の貧農の子どもで喰いつめて窮乏に耐えて、都会へ家出してなどという閲歴を凄んでみせるのは、きみ〔主=吉本〕が喰いつめて郷里を追われて都会へ出てきた船大工の三男坊の窮乏生活の苦悩の体験を凄んでみせるのとおなじじゃないか。また日本共産党の組織内活動の体験を凄んでみせるのは「なかのものをくだらぬならず者としてしまう」装置に青春を入れ込んだ馬鹿さ加減を凄んでいるだけじゃないか。いい加減にしろ。」(吉本『全集成3』p.13)
生れや育ちの苦労を言いつのって周りを恐れ入らせようとするのは止めろ、ということ。なお、「なかのものをくだらぬならず者としてしまう」とは、吉本によれば左翼組織に対するエンゲルスの批評です。
350. この一節は、どの人のどんな生き方も同じ価値をもっているのであり、革命のために生きる人生は日常に埋没して暮らす人生より価値があるなどというのはまったくの誤りだ、という断定につながっていきます。
「ヒラヒラと軽妙に、朗らかに生活を享楽している生涯も、黒田みたいに身も心も信仰に入れあげて、健康を損って病んでいる生涯も、含みも意味も陰翳も嗤いとばして、論理の戯れに身をやつしている生涯も、体験思想として見れば絶対に等価だ。…(中略)…政治的思想的な小僧などが、あなどれるような生涯などどこにもないんだ。」(吉本『全集成3』p.14)
351. 貧しく生まれて革命に献身しようが、豊かに生まれて気楽に生きようが、個人の生涯としては「絶対に等価だ」ということです。途中、「信仰」とあるのは左翼の政治活動のこと。また「体験思想として見れば」というのは、少しわかりにくいのですが、〝生活体験とその中での様々な思いの水準では〟というほどの意味でしょう。その水準では、すべての人の生涯は「絶対に等価」なのです。政治運動にまぜてもらって舞い上がった人間、つまり「政治思想的な小僧」が、市井の人のありふれた生涯をあなどってかかったりするのはまったくの勘ちがいなのだ、ということ。
革命への献身と日常への埋没
352. 吉本の黒田批判は、一つは、ここあるとおり、革命のために献身する方が日常に埋没するより優れているという考え方は根本的な誤りなのだ、ということ。もう一つは、左翼の組織も活動も「二十世紀の〈知的〉な宗教」(吉本『全集成3』p.11)にすぎないということ。この二つに集約できると思います。後者はひとまず措いて、前者を考えたい。
353. 誰の生涯も等価だという考え方は、「市民社会に自足する責を逃れようとする卑しさ」という黒田の言葉への真っ向からの否定です。
「おれは黒田喜夫がいまでも、性こりなく「そこにあるのは、『左』をあげつらって市民社会に自足する責を逃れようとする卑しさ」などと低次元のことを口走っているのを真っ向から否定する。…(中略)…「市民社会に自足する」人々も、じぶんでは「左」だと思い込んではいるが、民衆の抑圧と虐殺だけしかしてこなかったものに、寄与してきた人々も、まったく等価だ。」(吉本『全集成3』p.20)
市民社会に自足する人々も左翼を自認する人々もまったく等価なのだと、このように強調しています。
354. なお、読者は、「民衆の抑圧と虐殺だけしかしてこなかったもの」という言葉のせいで、一瞬混乱するかもしれません。この言葉は二十世紀の共産主義政権すべてを指します。連中は民衆の抑圧と虐殺だけしかしてこなかったじゃないか、という批判が吉本の心の中にある。文字通りに受け取ると、市民と虐殺者は等価ではないだろうといいたくなる。
355. この言葉は吉本の〝内心の声〟として、カッコに入れて読んでおくところです。自足した市民と左翼(と称して抑圧と虐殺をして来た者ども)に寄与した人々は、まったく等価だ、ということです。
356. 黒田喜夫は、この等価性がのみ込めない。左翼活動に価値があり、自足した市民でいるのは駄目なことなのだと無意識に前提している。別の文章で詩人の鮎川信夫と北川透の対談を批評して、次のように述べています。読みにくい文章ですが、ご一読ください。
「市民社会を統べる権力の下に狂者にも乞食にも犯罪者にもならずに生きて在ることの、そこに「個人」などというものを自明に信じて在ることの、その背理の苦さも悩ましさもアイロニイさえも、その対談の発言ぶりには含まれていないのはどうしたことか――。」(黒田喜夫「詩と権力」黒田上掲書所収、p.174)
あっさりいえば、鮎川や北川は、はみ出し者にもならずに市民社会に生きているのに、ちっともその苦悩が感じられない、という批判です。市民社会に自足して生きる以上、苦悩があってしかるべきだ、という揺るがぬ前提がある。
〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉
357. 吉本は、黒田批判の中で、この文章を引用して黒田を激しくこきおろします。
「すこしばかり「市民社会の統べる権力の下に狂者にも乞食にも犯罪者にもならずに生きて在ることの」苦悶の表情を、余計に浮かべてみせたとしても、そんなことが意味がある良心の証しだとおもっていることが、根底的に駄目なんだ。」(吉本『全集成3』p.21)
自分の方がお前たちより、市民社会に自足して「生きて在ること」を苦しく感じている、なんてことは、良心の証しになりはしない。苦しみの多い少ないを良心の尺度にするのが「根底的に駄目」だといっている。
358. 批判の根本は変っていません。左翼活動に価値があり、自足した市民は劣るというのはまったくの誤りだ、ということです。しかし、論点が少し移動しています。
359. 批判の対象が、価値の尺度になっている。まず、来るべき革命のためにすべてを捧げることが、理想として最上位に来る。そして、現状の市民社会に満足することが最下位に置かれる。その中間に、市民社会を多かれ少なかれ苦痛に感じ、革命のために多かれ少なかれ貢献する生き方が、苦痛と貢献の多い順に上から下へ配置される。
360. この尺度の上では、市民社会により多く苦痛を感じ、それだけ多く革命に貢献する者のほうが、苦痛がより少なく、貢献もより少ない者よりも、価値がある、ということになります。この考え方を、吉本は、〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉と呼びました(吉本『全集成3』p.21)。
361. 〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉とはどういうことか、その描写を見てみます。長めに引用します。革命のためにすべてを捧げる生き方を善しとすると、いったいどういう考え方に陥っていくのか。
「ついに着たきりスズメの人民服や国民服を着て、玄米食に味噌と野菜を食べて裸足で暮らして、二十四時間一瞬も休まず自己犠牲に徹して生活している痩せた聖者の虚像が得られる。そしてその虚像は民衆の解放のために、民衆を強制収容したり、虐殺したりしはじめる。はじめの倫理の痩せ方が根底的に駄目なんだ。その嘘の虚像にじぶんの生きざまがより近いとおもい込んでいる男が、そうでない「市民社会」に「狂者にも乞食にも犯罪者にもならずに生きて在る」男はもちろん、それにじぶんよりも近い生活をしている男を、倫理的に脅迫する資格があるとおもい込み、嘘の上に嘘をかさねてゆく。この倫理的な痩せ細り競争の嘘と欺瞞がある境界を超えたときにどうなるか。もっとも人民大衆解放に忠実に献身的に殉じているという主観的おもい込みが、もっとも大規模に人民大衆の虐殺と強制収容所と弾圧に従事するという倒錯が成立する。これがロシアのウクライナ共和国の大虐殺や、強制収容所から、ポル・ポトの民衆虐殺までのいわゆる「ナチスよりひどい」歴史の意味するものだ。そしてこの倒錯の最初の起源が、じつに黒田喜夫のような良心と苦悶の表情の競いあいの倫理にあることはいうまでもない。」(吉本『全集成3』pp.21-22)
362. 革命が聖化されれば、清貧の革命家への距離がより近い者は、より遠い者を倫理的に非難し、努力が足りないと鞭打つ資格を得ることになる。つまり、より貧しくより献身する者は、より豊かで自足した者を「そんな態度ではダメだ」と脅しあげる資格があると思い込むことになる。いきおい、よりよい社会をめざす者は、ほんとうは玄米と味噌と野菜なんかじゃなくて、もっとおいしいものを食べたいと思っていても、我慢するか、または我慢するフリをするようになる。我慢は自分に対する嘘であり、我慢するフリは他者に対する嘘です。我慢しきれなかったら、苦悶の表情をうかべて反省してみせる。こうして嘘をかさねてゆくと、結局どうなるか。自分の欲望を自己否定して人民に献身(するフリを)する者たちが、欲望を肯定する人民を非難し、矯正施設に送り込み、虐殺するようになる。こんな錯誤に陥らないようにするためには、出発点の、欲望を自己否定して痩せ細る競争をやめるしかない。それゆえ「黒田喜夫のような良心と苦悶の表情の競いあいの倫理」は根底的に駄目なのだ。
363. さらに吉本はこう続けます。
「黒田は…(中略)…幸福そうな市民たち、その生活の享受の姿、軽快な生活感性を肯定できないで、どんな凄味のある人民大衆の解放をやってみせるつもりなんだ。幸福そうな市民たち(いいかえれば先進社会における中級の経済的、文化的な余暇(消費)生活における賃労働者)が大多数を占めるようになることが解放の理想であり、着たきりの人民服や国民服を着て玄米食と味噌を食っている凄味のある清潔な倫理主義者が、社会を覆うのが理想でも解放でもない。それは途方もない倒錯だ。黒田喜夫にはおれのいうことがわかるか。おれたちが何を打とうとしているか、消滅させなければならないのが、どんな倒錯の倫理と理念だとおもってたたかっているのかわかるか。」
364. 市民生活の幸福をまず肯定しなければならない。人々の現実の幸福を否定しておいて、前衛が人民を指導し解放するのだなどというのは、「途方もない倒錯」でしかない。たしかにそうです。
365. これらの文言を見ると、至極あたりまえのことを躍起になって言いつのっている、そんな印象が今となってはあると思います。80年代半ばの日本社会は、それなりに豊かな消費生活を送る中流の勤労者が多数を占める社会になっていました。その限りで、旧来の左翼が掲げてきた「解放の理想」は達成されていた。
366. ところが、70年代80年代には、新旧左翼に向ってあたりまえのことを言いつづける必要があった。それくらい、市民社会に自足して生きることは責められるべきことだ、という倒錯した倫理が左翼的な学生や知識人の暗黙の前提になっていたのです。この暗黙の前提の滑稽さがあばかれ、人々がそれに気づくようになったのが1980年代だった。ここに引用した吉本隆明の言葉はその倒錯を指摘する典型的な例と言えます。
4.〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉批判の副作用
367. 吉本隆明は、〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉という卓抜な命名によって、左翼の倫理上の倒錯を明るみに出しました。よりよい社会を作ろうとする左翼の運動は、この倒錯のせいで、活動家たちが善意であればあるほど全体主義に姿を変え、個人を抑圧するものとなる。これと同じ錯誤は、集団がある共同の目標を設定し、それを達成するために個人が自己否定の努力を強いられる状況では、会社でも、軍隊でも、学校でも、あるいは国家でも町内会でも、高校野球やPTAでも、容易に現れるはずです。善意にもとづきながら集団全体がなだれを打って個人の抑圧に狂奔する。これをやめるためには、出発点で「苦悶の表情の競いあいの倫理」をすっぱりやめて、個人の欲望を肯定することからはじめるしかありません。
368. 〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉は、このように左翼運動にかぎらず日本社会のどこにでも現れるものです。
「それは途方もない倒錯だ。黒田喜夫にはおれのいうことがわかるか。おれたちが何を打とうとしているか、消滅させなければならないのが、どんな倒錯の倫理と理念だとおもってたたかっているのかわかるか。」(上掲)
吉本のこの切迫した物言いには、現在でも耳を傾ける価値があります。
369. しかし、〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉に対する吉本の批判は、ある副作用を備えていたのではないか、というのが私の懸念です。特に日本社会における社会運動の原理への批判として見た場合、副作用があったといわざるを得ないと思うのです。
370. 戦後の左翼運動は、しばしば全体主義の倒錯に陥ったとはいえ、より困窮した人々がまず救われねばならないという考え方を根本にもっていました。社会をよりよくするために、ある程度恵まれた層がより多くを負担し、恵まれない層はより少なく負担する。このやり方は、それこそ所得税の累進課税の制度にも見出されるとおり、理に適っているといえます。社会全体を視野に入れたとき、恵まれた層がより多く負担することは、〈嘘くらべ〉にならない範囲において、合理的な〈痩せ細り〉であるわけです。
371. よい社会を作るために個人に自己否定を強いるのは倒錯であり、原則として個人の欲望を肯定することから社会をつくりあげる必要がある。それゆえ〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉はやめるべきである。これはたしかにそのとおりです。しかし、それと同時に、よい社会をつくるためには、個人が〈嘘くらべ〉ではない合理的な〈痩せ細り〉をみずからに課すことが必要になる。これも事実です。
372. では、いったい個人の中には、社会全体を視野に入れて、合理的な〈痩せ細り〉をみずからに課す能力が宿っているだろうか。この問いに対して、そういう能力はたしかに個人に宿っていると示す哲学的努力が、西洋近代の個人主義社会の根底を思想的に支えています。
373. その能力は、煎じ詰めれば個人の愛と自由です。そして、愛と自由が社会の根底を支えるという社会哲学は日本語人には縁がないのです。(この点は2の23で論じたので、そちらをご覧ください。西洋近代と日本語人 第2期[番外編2の23]|tetsujin)
374. 〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉を否定することは、個人の愛と自由の倫理がもともと機能していない社会では、〈嘘くらべ〉ではない合理的な〈痩せ細り〉が実現されにくくなるという副作用をもったのではないか。言いかえると、全体主義的な社会において、倫理のカナメの位置にある〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉をやめてしまうと、ある程度恵まれた層がより多くを負担し、恵まれない層はより少なく負担する、という合理的な社会をつくることが難しくなる。これが私の懸念です。
5.むすび
375. 次回は、冒頭に述べたとおり、鈴木志郎康の詩と詩論をとりあげる予定です。あらゆる表現は個から出発するしかないという覚醒が、どのようにして詩人にやって来たのか。そして、その後どうなって行ったのか、考えてみたいと思っています。次回は、3月14日の土曜日に公開する予定です。

